日中訃報の知らせが・・・それは私が大学を卒業して社会人になった仕事先=「ねむの木学園」でした。
大学で福祉を専攻し、その希望通り福祉の道に進むことができました。1979年。私が22歳の時でした。
すでに41年の時間の経過です。
当時の「ねむの木学園」のイメージは映画「ねむの木の詩」というタイトルが外国の映画祭で賞をとって、ハンデイを抱えた子どもたちが、元気に生きる姿や、まり子さんの著も読んでいました。
まさか私がそこのスタッフになれるとは、思いもよりませんでした。
面接の時の希望者の多いこと!!その時点でこれは採用の道は厳しい!!施設を見ることができただけでも良しとしよう!!と思っていました。
ですが、運が良かったのでしょう。
内定通知をもらい、晴れて職員になりました。
今は掛川市にありますが、私の時は浜岡町にありました。
3大砂丘の一つ「浜岡砂丘」が近くにありました。
海も近くにあって良い環境のところでした。
10年間の勤務をし、その間多くをまり子さんから学びました。
職員には厳しかったです。特に私には・・・どういうわけか??です。
怒られる役!と言ってもいいくらい。
25歳で結婚式〜仲人もまり子さんでした。
披露宴の席で、「進士、月光仮面踊れっ・・・」
私の心「え〜新郎の私がやるの・・・まじか????」でも逆らえないのでやるしかないです。
この月光仮面踊れ・・・は、ねむの木学園でも時々私がやって、子どもたちも大爆笑していたので、まり子さんが多分面白がってやれ〜と言ったのでしょう。
他所の福祉施設と違って、ハンディキャップの子どもたちには、一流の教育を…ということで茶道もやり、ダンスも取り入れその指導してくれる先生方の豪華なこと!!
著名な方も学園に遊びに来たり、上条恒彦さん、寺内タケシさん、なべさださん、勝目梓さんの奥様、新井満さん、ピアニストのクリストフエッセンバッハさん、首相では中曽根さん。
各地で展覧会もありました。まさに全国各地で・・・私もその展覧会の展示スタッフとして選抜され{北海道、四国、九州、中国地方、関東、関西・・・海外ではチューリッヒにも行きました。}
京都の松下幸之助さんのゲストハウスや、瀬戸内寂聴さんのお寺にも、そこで瀬戸内さんが出してくれたおにぎりの味は今も覚えています。
首相官邸にも行きました。
幅広い人脈があり、常に子どもたちのことを優先していました。
教育に妥協はしませんでした。
だからこそ、ねむの木学園の子たちが、才能を開花できたのでしょうね。
私の今があるのは、ねむの木学園の経験が大きいです。
これからもまり子さんの教えを私なりに子どもたちに伝えていきたいと思っています。
天国のまり子さん見ていてください。
ご冥福をお祈りします。