ぽんた学長です。
今日、7月1日は特別な日です。それは25年前の今日、重たい心臓病を抱えていた長男が天国へ旅立った日なのです。
東京新宿にあった榊原記念病院のICU(集中治療室)で力尽きました。
私は連絡がきた時は、鮫川村にいました。
すぐさま車で東京へ・・・
娘二人は近所にお世話になりました。
病院に夕方4時につき、会いに行ったときには、すでに息を引き取っていました。
手術を受け、とにかくまた元気になって、鮫川村に帰ろう!!と
でもその願いはかないませんでした。
ICUに毎日会いに通いました。目をつむっていてもちゃんと意識はあるのです。
「たか・・・」と声をかけるとほんの少しだけ、うなずいてくれて、返してくれるのです。
力の限り生きよう・・・としていました。
家内のお腹の中には今の陽平がいました。
もしかしたら、命のバトンタッチを長男はしたのかもしれません。
この写真は建前の時に1994年10月です。
冬がとても厳しい鮫川村なので、新築の家を建てよう・・・と。
家の間取りや、形はすべて私の思い描く通り設計してもらいました。
妹ふたりとも仲良く、お兄ちゃんらしくしていました。
村のバスの名前を募集して、応募した長男でした。
見事「あおぞら」バスと名付けたので式典に招待されました。その時の写真です。
この式典の前にも、体調を崩して入院していたのです。でも式典には絶対退院するんだ…と言って、その通りに鮫川村に帰ることができました。
親としてできる限りのことをやってきたので、悲しいことなのですが、夢に長男が出てきて
「とうちゃん、もう苦しまなくて良いんだよ!今は思い切り走ることもできるし、心配ないから大丈夫」って
背も高くなっていた長男でした。
きっと私を安心させたかったのでしょう。
1日でも元気でいてほしい!根底にあったこの気持ちが、今の農作業の基本(自然農)になっていたり、
子どもたちに体験交流を数多く実践してきたのは長男と同じように、子供が子どもらしく、野外で思い切り体を動かし元気に遊ぶ!その姿こそ最高の子どもであると!!
このあぶくまのマークは、長男が手術の前日に私にプレゼントしてくれました。
大切な、大切なトレードマークです。
中央にいる男の子はきっと、長男かもしれません。
思い切り青空を見上げて背伸びをして、病気を乗り越えて元気になって見せる!!
同じように、ぽんた山に来た子供たちが、のびのび非日常のところで自然からたくさんのことを学び、気づき、遊んで・・・成長していってほしい!!
そんなイメージで描いてくれたのかなあ・・・と思っています。
幾多の困難も多くの方々に支えられ、乗り越えてきました。
10年前の東日本大震災、原発事故!!
見えない放射線の恐怖から我慢の限界にあった当時の県内の子たち。
どんなことがあっても子供から笑顔と元気を奪うようなことがあってはならない・・・
孤軍奮闘で起こした「ふくしまキッズ」でした。
行政からのバッシングも寄せ付けず、とにかく全国の自然学校の仲間とタッグを組んで、7年間活動ができました。
5000人を超す子どもたちが、夏・冬・春休みに全国に行って元気を取り戻すことができました。
今では高校生、大学生、社会人になっています。
一人一人がその受けた恩をいつか返せる人間に成長したい!!
素敵にかっこよく成長しています。
そんな報告を時々手紙や、メールで連絡が来ます。
良かった!!と思っています。
2014年の雪害では、田舎体験の家の軒下が倒壊、鶏小屋も倒壊。
首都圏からの青年が来てくれて、復旧できました。
台風19号の豪雨では石窯が倒壊しまうほど、これも全国から寄付が集まって再考できました。
今年の2月13日の大地震でまた一部が崩れてしまいました。
その都度多くの方が、心を寄せてくださり、前に前に1歩、1歩歩むことができました。
コロナで首都圏の子どもたちが思うように来ることができないジレンマはあります。
でもまた再会できる!!と信じて、ぽんた山の環境を整備し続けて、気持ちよく参加できるように待っていたいと思います。
そして、今トライしているクラウドファンディングも、これからの農山村が元気であり続けるための、そして陽平のように若い青年たちが大地に向かって汗を流し、自然農を実践して、収穫できた農産物を一人でも多くの方にお届けできるようにしたいのです。
派手なことは何一つありません。地味な作業ばかりですが、二人三人と増えていくと、つらい作業もいつしか楽しくなってしまうのです。
そんな輪を広めていきたい!!
強く強く思っています。
おかげさまで、すごい速さで目標額に向かっている連日です。
皆様に感謝しています。
長男から引き継いだ、この地をいつまでも子どもから大人までが笑顔で農を通して楽しく交流できる場にしていきたい想いです。